
岸和田市の人口は約18万。
コスモタイガーが連想するのは、西武や巨人で活躍した清原選手と、あとは朝ドラ「カーネーション」かな?(2025年3月現在、絶賛?再放送中)
そんな岸和田の中心にこんな素敵な街並みが残っていることにモチベーション爆上がり。
幹線道路と化している府道39を渡った先にあるのが、いかにも明治を思わせる「旧四十三銀行岸和田支店」。

その先、2つの桝形。
特に2つ目の桝形は街道らしい雰囲気を残している。(冒頭写真)
そのまま進むと、左に目立つ4階建ての建物が現れた。
市役所の別館ということらしく、手前の十字路には新旧の道標が並び立っている。
道標の通りにまっすぐ進むと、江戸時代のこの場所の絵地図が市役所側にはめ込まれていて、見比べるのもなかなか楽しい。

そこから見る旧街道は、特殊舗装された道がまっすぐに伸びている。

「本町」という町名からも察することができるけれど、まさに当時の岸和田市の中心だ。
市役所別館を過ぎたあたりからが、岸和田市の街並み保存地区となっている。
ホントは道1本隔てたところに岸和田城址があるんだけどね。
きっとかつてはこの街道の家々から、立派な天守閣も拝めたんだろうけど。
現在では二の丸が再建されているに過ぎず、また当時より高い市役所別館をはじめとする建物に遮られ、わずかな家並みの切れ目から石垣が垣間見えるだけなのさ。
そして、保存地区を象徴するかのような久住邸。

屋号を粉川屋と称し、吉田松陰も一時逗留したとある。
その後も左右に「山内邸」「金納邸」などのお屋敷が続いていて、「重伝建」に入れてあげてもいいぐらいの街並みだ。
でもキリがないから目で楽しむだけにする。
そんな街並みの中にひっそりと、思わず素通りしてしまいそうだったけど「本町一里塚跡」を案内する標柱を発見!

南町の信号交差点。
交わる道路を左折すると南海電鉄「蛸地蔵」駅なんだけど、その道に「そかいみち」なんて名前が付いているらしい。
きっと漢字で「疎開道」なんだろうね。
すぐに右手に2基の常夜灯とお寺への参道。
「たこじぞう」の石柱も並んでいる。

折角だからお参りしていこう。

正式には天性寺という名のようで、創建年は1570年(通説)とあり、なかなかの名刹だ。
地蔵堂としては日本一大きいといわれてるらしい。
というか、完全にお寺だけど…(笑)。
突然蛸に乗ったお坊さんがあらわれ、一揆勢を鎮圧。
さらに何万という蛸も姿を現し、一揆勢はあわてて去っていった。
結果として誰も命を落とすことなく岸和田城は救われた。
という逸話から蛸地蔵なんだね。
今朝の電車の中で勉強したんだけどね(笑)
さぁ、足を進めよう。
100mほど進んだ十字路。
しいていうなら個人経営の電気屋さんがある十字路を左折。

またすぐに右折。
恐らく升形だね。
水路のようなところに架かる小橋が市境で、ここから貝塚市となった。
しばらくは道なりに走る。
ところどころに街道を思われせる地蔵や道標もあるけどさ。
トレーニングだから細かいところは省略♪
ってか、もう東海道から始まって10年以上街道runやってるからね。
少しぐらいの史跡では心が動かなくなった(笑)
「堀新」という信号交差点で府道204に吸収される。
テンポ良く走らなきゃ。
ここからまたしばらくは府道run。
この辺は正確には消失部分なんだろうな。
「北町」の交差点。
手元の資料では直進して次の「北町南」を左折とあるけどさ。
雰囲気からしてここを左折だよ。
正確にはここから旧街道が復活している。
いきなり登録有形文化財岡本家住宅が迎えてくれるから大丈夫。
次の十字路を左に入ると、そこはまさに歴史を感じる癒しの街並みだ。
登録有形文化財竹本家住宅、続いて山田家住宅が並ぶ。

しばしお邪魔して手を合わせていこう。

御坊前通りはやがて中町通で突き当たる。
西町の交差点に出る1本手前の道を左折するのが旧街道だな。(信号ないからいったん西町交差点に出て横断しましょう♪)
またすぐ突き当たってしまうから、右折して、今度こそ府道204に出る。
交差点名は「貝塚駅下り」。
名前の通り、400mほど南東に進むと貝塚駅ね。
ここでゴールに、という選択は…。
ないな。
実は今日はもう少し進んでおきたいんだ。
うまく行けば今回で紀州街道制覇になりそうだもん。
ということで、まだまだ足を進める気持ち満々なコスモタイガーなのだ。